1973-04-06 第71回国会 参議院 予算委員会第三分科会 第2号
、これは木村団長の記者会見です。この席に同席した佐貫亦男氏と金井航空局技術部長は同意した。そのとおりだ。 ところが、ここで航空局の技術者を養成します大学の工学部等で使われている教科書があります。航空工学講座の教科書です。これがその教科書です。この教科書の六十五ページ、これにこういうことが載っている。
、これは木村団長の記者会見です。この席に同席した佐貫亦男氏と金井航空局技術部長は同意した。そのとおりだ。 ところが、ここで航空局の技術者を養成します大学の工学部等で使われている教科書があります。航空工学講座の教科書です。これがその教科書です。この教科書の六十五ページ、これにこういうことが載っている。
という本を私は読んでおりませんので、どういうことかわかりませんけれども、いま先生御指摘のことによりますと、ストールということはあり得ないというふうに書いてあるけれども、ちゃんとストールということがあり縛るじゃないか、本に書いてあることと団長が言うことは全く違うと、こういうことですけれども、その当時の事故機の場合に失速ということは考えられないという、木村団長の発言はそういう趣旨ではあったと思います。
ましてや木村委員会のごときは、木村団長自身が認めているように、編成の過程において失敗があったということも言っているぐらいですから、この問題を、単に「適確」というようなばく然としたようなことばで表現するのでなくて、もっとこれははっきりしていくべきじゃないか。そしてまたそのチェックの機関を設けなければならぬと思うのですね。
石崎さんがもし注意を受けたのであるならば、木村団長は運輸大臣から注意を受けなかったのであろうか。私は役所に電話で聞いたところ、これは木村団長は個人でやったので、調査委員会その他の了解を全く得ていないという返事だった。これは私、録音テープにしてあります。
この点については木村団長の言ったことで、私は深くそれを追及しようとは思いませんけれども、この点は、どうも木村さんの非常にまずい一面が端的にあらわれていると私は思うわけです。 そこで、この最後の二行の点です。「その結果カウリングが離脱して風や潮流により流れたと考えられるが、その詳細は明確でない。」こういうふうに回答書にも書いてあるのです。
これは木村団長の発言であって、これを大臣は引用しただけだと言われるかもしれないが、公式のこの公文書は運輸大臣橋本登美三郎、こういう名前で出されているのですから、大臣はこれをお認めになったのじゃなかろうかと私も思うのですね。 そこで後段の問題、要するにいまここでいわれるところの「同氏の事故状況についての認識に重大なくるいがあったとは考えていない」。ここのところは大臣のお考えだと私は思うのですよ。
ところが、過日参考人として呼びました木村団長は、本年四月に発行された 「航空情報」の四月号の「私は答える」という座談会に出席をしております。これは明らかに最終報告書が公表されました九月から五カ月も前のことであります。一方は執筆した、一方は座談会で話をしたという違いはありますけれども、これはどのように解釈をするのか。
いろいろ、問題の究明点についてはありましたろうし、それらの問題については、報告を受け取った際に木村団長からも、約二時間にわたっていろいろ報告を受け、私からも約二時間にわたって質問をいたしました。
○松本(忠)委員 いまの石崎機長と木村団長の問題については、どのようにお考えになりますか。その点について大臣からお答えいただきたい。
これは何か先ほど、おまえはもう委員会へ出なくてもいいとだれかに言われたというようなことから出られなくなったというようなお話を聞いていますが、その間の事情と、運輸省をおやめになった事情、それから、航空事故の最終報告書の採用にあたって、こういう強固な反対者があるにもかかわらず、これをある意味でいえば多数決という方式、木村団長はいささか多数決ということについてはひっかかりがあるようですが、こういう方法できめられたというようなことは
○林(百)委員 時間がありませんので、それでは木村団長にお尋ねしますが、これは各委員とも言ったのですが、この調査報告書を見ますと、パイロットミスのにおいの強い意味での原因不明というように考えられる報告書と客観的には思われるわけなんですが、しかし、私たちは、先ほどから申し上げておりますように、山名委員や楢林参考人の意見もお聞きしまして、どうしてもこれにある欠陥があったのではないかと疑わしむる事情がいろいろあるように
○河村委員 檜林参考人にお伺いいたしますが、いま木村団長の御説明がありましたが、そのときには、あなたはおられたのかどうか。また、あなたがおっしゃったのとたいへん食い違うようであるが、その辺はどういうふうに考えておられますか。
また木村団長は、団員が引き揚げ現場に行かないのは普通だと思う——一回行かれたようですけれども、あとあまり行っていないということですが、記録に基づいて現場小委員会というものをつくり検討するのが団員の仕事である、一人一人現場に行って状況を見ても何にもならない、こういうような発言もなされたように記録が残っております。
私も木村団長から調査団の報告を受けたのでありますが、約一時間にわたって内容も説明してもらいました。なお報告を受けたあとで、私もしろうとでありますから、いろいろ聞きたいことがあるから、あとしばらく時間をかしてもらいたいということで、そのあとで約一時間にわたって私から二、三の質問もし、またいろいろと聞いてみたのであります。
木村団長が最終報告書の発表前の記者会見で、内部の和がはかれなかったことは私の責任だ、こういうことを言われておりますけれども、このことばには、調査団の運営が妥当を欠いていたということの裏づけではなかろうか、こう私は受け取るわけです。調査団の運営あるいはその構成、こういうものについてほんとうにどうであったか。
それは、たとえば航空法務研究という木村団長が顧問をやっている本の中にも、やはり報告書というのがあって、その要約したのがICAOに報告されるんだ、こういうように書いてあるんですね。だから、私はその内容が不十分であるし、いわゆるレポートというのをきちんと出してもらいたいと思う。こんなサマリーじゃよくわれわれ議論できない。それをまずお尋ねしたいと思います。
私しろうととして考えましても、また当時報告がありました際にも、木村団長から、何かやはり常設機関を設置することのほうが望ましいのじゃないかというような非公式の意見も述べられております。
そうすると、いろいろちまたでいわれ、文芸春秋なんかにもいろいろ出ておりますけれども、木村団長のほうから、圧力をかけて変えさせたのだということがいわれております。 もう一つお尋ねしますが、遺体で発見された人の中で、全日空につとめている営業の社員の人が、救命胴衣を握っていたまま遺体で上がってきたというケースがあったように私は聞いておりますけれども、そういう事実があったかどうか。
○金井説明員 確かに、先生御指摘のとおり、調査団を、団員をやめたいという辞表を受理しておりますけれども、これは、まだ団長をはじめ運輸省事務局、これが慰留につとめているという段階でございまして、最終的には、団長でありますところの木村団長がさらに努力し、木村団長から大臣のほうに、それをどうするかという、その扱いの相談があるものと思われます。目下慰留につとめているということでございます。
木村団長は、その意味におきましては、まる四年以上というような従来にない期間を費やして科学的な究明につとめたわけでありまして、山名委員の提案に対しても私は直接の報告を受けたわけじゃありませんけれども、関係者の中間的な報告によれば、一年余にわたって、その推測によるところの理論につきましても、科学的分野も究明をいたした、かように聞いております。
ところが、これは三月三十一日の新聞でございますが、全日空の事故調査に当たりました政府の全日空機事故技術調査団、これを木村団長のもとにおいてやられておる。
それから事故原因の調査でございますが、木村団長を長とする調査団は、本日午後現場におきましてこの揚収物件の実況を詳細に検分をする、それによってまず事故の現実の姿を正しくとらえるということをしておられる段階でございまして、現段階ではまだ、前回も御報告申し上げたかと思いますが、727機の設計上の特性、あるいは米国における事故の例その他いろいろな資料を収集して基本的な解析をしておる段階でございます。